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田中一光ポスター1980-2002 [Commercial Art]

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私のもう一つのブログcafeblo.comの"Ivy Scene 1968"の2008年1月8日の記事「初釜」と、"館一の回顧録"の2010年12月16日の「田中一光」に書いてますが、田中一光先生が亡くなられて今月10日で10年の歳月が過ぎました。銀座7丁目のギンザ・グラフィック・ギャラリーでは没後10周年記念企画として、1月13日(金)~2月25日(土)迄「田中一光ポスター1980-2002」が開催されています。

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田中一光先生が入賞メダルと参加招待状をデザインされた札幌冬季オリンピックのテーマ曲は、トワ・エ・モワの「虹と雪のバラード」でした。


伊坂芳太良 原画展 2011 [Commercial Art]

奇妙な味の物語.jpg 

1969年に五木寛之さんが連載し伊坂芳太良さんが挿絵を手がけた短編小説、「奇妙な味の物語」の刊行を記念して2010年1月27日~2月9日に、青山ブックセンター内ギャラリーで「伊坂芳太良 原画展」が行われましたが、今年は明日7月8日(金)~7月20日(水)迄、原宿の「ペーターズショップアンドギャラリー」で、「伊坂芳太良 原画展」が開催されるので、帰京時に間に合うようだったら行きます。

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1963年に創設されたEDWARD'Sの社名は、英国のキング・オブ・エドワードに由来するそうで、広告や紙袋にデザインされたイラストのモチーフにもなっています。

伊坂芳太良さん(1928年-1970年)は阿佐ヶ谷美術専門学校で学んだ後に、1957年に銀座に本社のある広告制作会社「ライトパブリシテイ」に入社し、福澤幸雄さんが取締役企画部長、デザイナーをされていたメンズ・ファッションブランド、「EDWARD'S」の広告やP.O.Pを手掛けて注目を集め、1967年にA.D.C(東京アート・ディレクターズ・クラブ)特別賞を受賞しました。

1960年代後半から1970年に伊坂芳太良さんが制作されたイラストは、当時大流行したピーコック革命やサイケデリック・アートを個性的なレイアウトや色遣いで表現をし、小学館の「ビッグコミック」創刊からの表紙画(1968年~1970年)や、「EXPO'70」のポスター(1970年)など多方面で活躍し、若者たちにも支持されたイラストレーターでしたが、1970年に42歳という若さで急逝しました。

 

奇妙な味の物語

奇妙な味の物語

  • 作者: 五木 寛之
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2009/11/01
  • メディア: 単行本

June [Commercial Art]

JUN Sticker.jpg 

JUNの話題を続けて取り上げてきましたので、6月ラストの記事もJUNで締めます。1958年12月9日に創業した株式会社ジュンの社名の由来は、創業当時の社長が6月生まれだったので、JUNEから付けられたとされています。動画は1973年にON AIRされたJUNグループのCMと、JUN"Classisal Elegance Image 70's"のプロモーションテープで、BGMに使用されていたC.S.N&Yの1970年5月10日にリリースされたシングル、「Wood Stock」のB面「Helpless」です。

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ROPE [Commercial Art]

JUNが創業50周年を迎えた2008年に"50th anniversary memory"で、初期のロゴと創業年がプリントされたヨットパーカーや、JUN MENのピンバッジなどを期間限定で販売されました。

50th anniversary.jpg 50th anniversary 1958.jpg

Rope yokohama.jpg私が高校3年だった1972年にJUNがレストラン、カフェテラス等の飲食部門業務の独立運営を図り、原宿表参道にオープンした"Café de Ropé"はパリのオープン・カフェのような店で、東京のオシャレ人が集まるトレンディー・スポットでした。"Café de Ropé"が2009年と2010年の7月上旬から8月末まで、葉山の一色海岸に夏季限定で"Café de Ropé La mer"としてオープンしていますが、今年の情報はJUNに問い合わせようと思います。横浜駅東口地下街ポルタの"Café de Ropé"は今年1月に閉店したそうで、メニューにあったスモークサーモンとクリームチーズなどを、蕎麦粉の生地で包み焼きするフランス郷土料理ガレットは私の大好物です。

1972年にTAD若松の映像で制作されたROPE'のCM、B.G.Mはサルヴァトール・アダモ。洋画のワン・シーンを思わせるような、JUNのCFは現代でも十分通用する映像です。


Beverly-Hills [Commercial Art]

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1964年に銀座みゆき通りに直営ブティック1号店をオープンしたJUNは、1968年にJUNの恋人ブランドとしてROPEをスタートし、みゆき通りと旧電通通り(外堀通り)が交差する角地にROPE1号店をオープンして、ここは後にBeverly-Hillsショップになっていました。

Beverly-Hillsの1976年のCFはイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」のモデルになった、LAのビバリーヒルズ・ホテル前で撮影されたようで、ナレーションに"政治家の皆様、鏡は見ていますか?"とありますが、1976年というと三木内閣から福田内閣の頃で、第二次オイルショックなどがあったけれど、今と比べると政治事態はまともな時代だったと思います。この年の始めに発生したロッキード事件に登場した、当時全日空社長の若狭氏とロッキード副社長のコーチャン氏から、私の学友にいた同名の若狭君とコウちゃんが周りから揶揄されていたのでした[わーい(嬉しい顔)]。因みに田中角栄元首相のご長男、田中京さんが経営する神楽坂のレストラン・バー「空(sora)」は私も大好きな素敵な店で、角栄さん似の田中京さんはお父様よりも細面のスマートな雰囲気の方です。

JUNハウジングのCMです。サントロペ・ハウスなど、ヨーロピアン様式の建築が素敵でした。


JUNのCM [Commercial Art]

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昨日のブログに書いたファッション写真界の巨匠、フォト・グラファーのリチャード・アヴェドンが1973年に制作し、モデルのアンジェリカ・ヒューストンが出演しているJUN ROPEと、1960年代にニューヨークのリチャード・アヴェドンのスタジオで、アヴェドンの助手を務めていたTAD若松が、帰国後に映像を手掛けた1970年と1971年のCFをUPしました。JUNについては2009年12月の「JUN FOR YOUNG MEN」と、プロモーションは2010年1月の「WOOD STOCK 1969」に書いています。

1969年から1970年代初めにJUNショップで流れていた、JUN"Classisal Elegance Image 70's"のプロモーションテープのBGMに使用されていた、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの、ウッドストック・コンサートのタイトル曲「Wood Stock」を再UPします。


田中一光 [Commercial Art]

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"この大きな山はつねに柔らかく、

いまなおふだんに成長しつづける山なのだ"

田中一光のような存在について、言葉をもって直接的に語ることは難しい。というより不可能に近い。しかたがない。比喩という間接的方法を奥の手として使うことにしよう。

私が田中を考えるとき、かならず連想するイメージがある。それは山だ。大きな山だが、けっして人間を拒む嶮しい山ではない。あくまでも優しく、なだらかで、登る人を受け容れる登り口をいくつも持っている山だ。

それらの登り口を便宣的にロゴタイプ、ポスター、カレンダー、ブック・デザイングラフィック・アート、あるいはトータル・イメージ・メーキング・・・・・・などと呼んでみてもいいだろう。
(1993年4月 詩人:高橋睦郎 評論より)

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私が若い頃から最も尊敬する日本を代表するグラフィック・デザイナーの一人、"田中一光"さんが他界される数年前に、以前ご紹介した中野の料理屋「陸蒸気」で、会食に同席させて頂いた事がありましたが、その際に一光さんが用意してくださっていたサイン入りの著書を頂きました。何よりも大切にしている私のお宝ですが、今思うとご一緒に写真を撮らせて頂いていればと後悔しています。当時はカメラ付き携帯やデジタルカメラも無いので、今のようにやたらと写真を写すこともありませんでした。

田中一光さんが2002年1月10日夜に青山の自宅付近の路上で倒れて、虚血性心不全のため都内の病院で急逝されたと聞いたときは大変ショックをうけました。享年71歳というまだまだお若い年齢でしたので、お元気でご活躍されていたら・・・と残念に思います。若い頃から目をかけて頂いた恩人や、今年1月に亡くなった菊池浩一さんのような友人が急逝されたりすると、両親を亡くしたときと同じ思いでしばらく傷心の日々が続いたものです。

略歴
1950年 京都市立美術専門学校(現:京都市立芸術大学)
           鐘淵紡績入社
1952年 産経新聞社入社 桑沢デザイン塾講師
1953年 日宣美会員となる
1957年 株式会社ライトパブリシティ入社
1959年 日宣美展会員賞
1960年 日本デザインセンター創立に参加 東京A.D.C金賞
1963年 独立し田中一光デザイン室主宰
1967年 A.G.I 国際グラフィック連盟会員となる
1968年 日本万国博覧会政府館1号館、展示設計責任者に任命される
1975年 西武流通グループ(セゾングループ)のクリエイティブディレクターに就任
1980年 芸術選奨文部大臣賞新人賞、西武の無印良品のアートディレクターに就任
1986年 銀座セゾン劇場のアートディレクターに就任
1986年 ニューヨークA.D.C金賞
1991年 日本文化デザイン大賞
1994年 ニューヨークA.D.C殿堂入り、紫綬褒章受章
1998年 東京A.D.Cグランプリ、1997年度朝日賞
2000年 文化功労者表彰

ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ銀賞
毎日デザイン賞
ニューヨークA.D.C金賞
東京A.D.C会員最高賞
毎日芸術賞
T.D.C会員金賞
第一回亀倉賞
織部賞
朝日賞

主な仕事
1954年~1993年 産経観世能
1964年 タバコ「ロングピース」/パッケージデザイン
1964年 東京オリンピック/入賞メダル、施設シンボルデザイン
1970年 札幌冬季オリンピック/入賞メダル、参加招待状デザイン
1968年-1970年 日本万国博覧会政府館1号館、展示設計
1973年 日本の選択:毎日新聞社
1975年-1986年 西武美術館アートディレクション
1978年 なんばCITY/プロデュース
1979年 イッセイ・ミヤケ/ブランドマーク
1980年 ジャパン・スタイル展
1980年 無印良品/トータルデザイン
1984年 IBC岩手放送/CI
1985年 国際科学技術博覧会(つくば万博)/シンボルマーク
1986年 ギンザグラフィックギャラリー/シンボルマーク
1987年 ロフト/シンボルマーク
1987年 田中一光 デザインのクロスロード展
1989年 海遊館/シンボルロゴ
        ホテル・イル・パラッツィオ/ビジュアル・トータルデザイン
1990年 ギャラリー・間
1991年 大阪大学/校章デザイン
1992年 「東京フロンティア」国際シンボルマーク コンペ第一位
      新東京国際空港第二旅客ターミナルビル/壁画デザイン
1993年 STOP AIDS
1995年 ベニス・ビエンナーレ日本館
          写楽二百年
1990年・1992年・2000年 三宅一生展
1997年 レストラン・マッカリーナ(北海道真狩村)
1998年 サルヴァトーレ・フェラガモ展/グラフィックデザイン
2000年 拓殖大学/VI
1995年-2002年 大阪新聞/題字
奈良テレビ放送/CI(制作年度不明)、他多数。

個展
西武美術館、奈良県立美術館、富山県立近代美術館、東京国立近代美術館フィルムセンター、
N.Yクーパーユニオン美術大学、L.A日米文化会館、パリ装飾美術館所属広告美術館、
メキシコ現代美術文化センター、ミラノ市現代美術館、サンパウロ現代美術館、
ベルリン バウハウス・アーカイブ・ミュージアム、他。

著書
「田中一光のデザイン」、「デザインの周辺」、「田中一光デザインの世界」、「デザインの仕事机から」、「デザインの前後左右」、「田中一光自伝 われらデザインの時代」、など。

田中一光さんはクラシックがお好きでしたので、表参道の善光寺で営まれた葬儀にもクラシックが流れていました。今年はショパン生誕200年のメモリアル・イヤーですので、私がもっとも好きな曲「幻想即興曲」です。

 

田中一光 gggBooks 世界のグラフィックデザインシリ-ス゛5

田中一光 gggBooks 世界のグラフィックデザインシリ-ス゛5

  • 作者: 田中 一光
  • 出版社/メーカー: ギンザ・グラフィック・ギャラリー
  • 発売日: 1993/04
  • メディア: 単行本

田中一光自伝 われらデザインの時代

田中一光自伝 われらデザインの時代

  • 作者: 田中 一光
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2001/03
  • メディア: 単行本

タグ:田中一光

石岡瑛子 [Commercial Art]

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馬場啓一さんと「CMにチャンネルをあわせた日 杉山登志の時代」を執筆された、石岡瑛子さん(1939年7月12日)は東京芸術大学美術学部を卒業後、資生堂宣伝部でグラフィックデザイナー、アートディレクターとして活動した後1970年に独立し、石岡瑛子デザイン室を主宰して角川文庫やパルコのアート・ディレクターを務め、1980年代以降はニューヨークを拠点として、アメリカ、カナダ、ヨーロッパなどで、グラフィックデザイナー、アートディレクター、プロダクションデザイナー、コスチュームデザイナー等として、国際的に高く評価されている日本の誇りと云えるクリエイターです。

デザインの周辺.jpg角川文庫では「我が同士/黒澤明」、「予感の書/五木寛之」、「ボタン屋とモメン屋/三宅一生」、「タイム・マシーンの神話/角川春樹」、「スレスレの芸当/坂本龍一」、「水と皮膚の出会い/沢田研二」、「失礼でない裸体/糸井重里」、「石岡瑛子の品・情・胆/田中一光」、「人間的共感の女神/堤清二」他、雑誌「野生時代」などの表紙と、パルコでは1970年代に一世風靡した山口はるみさんの、エアブラシ技法によるイラスト広告のアート・ディレクション、三宅一生のショーなどを手掛けています。

敬愛するグラフィックデザイナーの故田中一光先生のエッセイ「デザインの周辺」に、"石岡瑛子の品・情・胆"が書かれていますが、石岡瑛子さんは私が理想とする人物像の「品・情・胆」が備わっている女性です。

 

 

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日本を代表する世界的なグラフィックデザイナーで、資生堂宣伝部制作室長などを歴任されて、現在は顧問をされている中村誠さんのアート・ディレションと、石岡瑛子さんデザインによる1965年のキャンペーンポスター。

日宣美(日本宣伝美術会)で女性初の日宣美賞受賞
東京アートディレクターズ・クラブ会員賞
毎日産業デザイン賞
電通賞
講談社出版文化賞
アカデミー賞(衣裳デザイン賞)
1984年映画「MISHIMA」の美術監督として、第38回カンヌ国際映画祭芸術貢献賞
1987年マイルス・デイヴィス「TUTU」のアートワークで第29回グラミー賞
1988年ブロードウェイプロダクション「M.バタフライ」の美術監督として第39回ニューヨーク批評家協会賞
1992年ニューヨークアートディレクターズ・クラブ名誉殊勲賞により殿堂入り
「ドラキュラ」のコスチュームデザインで、第65回アカデミー賞受賞
2002年紫綬褒章を受章
マイルス・デイヴィスのアルバム・ジャケットのデザインでグラミー賞
ニューヨーク映画批評家協会賞、他、多数受賞しジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラとは交流が深いそうです。

2002年ソルトレイク冬季オリンピックでは、デサントがサプライヤーとなったレーシング・ウェアとアウター・ウェアをデザインし、2008年の北京オリンピックの開会式では衣装デザインを担当しました。


杉山登志 [Commercial Art]

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1979年2月10日にパルコ出版から発行された「CMにチャンネルをあわせた日 杉山登志の時代」は、CM制作会社の日本天然色映画でCMディレクターをされていた馬場啓一さんと、資生堂でグラフィックデザイナー、アートディレクターをされていた石岡瑛子さんによる著書です。 

伝説の天才CMディレクター杉山登志さんが、1973年に下記の遺書を残して自ら命を絶って(享年37歳)、今日12月12日は36回目の祥月命日になります。

リッチでないのに
リッチな世界などわかりません
ハッピーでないのに
ハッピーな世界などえがけません
「夢」がないのに
「夢」をうることなどは・・・とても
嘘をついてもばれるものです

杉山登志さんは日本大学藝術学部美術学科を経て、1958年にCM製作会社の日本天然色映画へ入社後、1962年から資生堂のCM制作に携わるようになって、資生堂を中心に1960年代から'70年代初頭の、CMの歴史に残る珠玉の作品を手掛けて数々の大賞を受けています。

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A.C.C(全日本シーエム放送連盟)のCMフェスティバル受賞作品の、1961年~1974年の中から厳選された59本が収録されている作品集です。1968年の資生堂サンスクリーンからの撮影の殆どは、杉山登志さんの弟である杉山傳命さんのカメラワークです。制作会社は1972年のトヨタマークII以外、すべて日本天然色映画です。1964年のMG5/ガンスコープのCMは、こちらにUPしていますのでご覧ください。http://blog.so-net.ne.jp/tateichi-baron/2010-06-17

●受賞年度 ●商品名 ●題名 ●広告主

1. 1961 冷蔵庫NR100D型/CCシリーズの冷蔵庫/松下電器産業 
2. 1963 ファッションベイル/サイコロ/資生堂 
3. 1963 オリーブ石鹸/ママが選んだ石?/資生堂 
4. 1964 資生堂口紅/メークアップトーキョー・この春は/資生堂

5. 1964 資生堂口紅・ネイルエナメル/メークアップトーキョー/資生堂 
6. 1964 青春アワー(番組)/資生堂 
7. 1964 トレロン/東洋レーヨン 
8. 1964 ドルックスコールドクリーム/白鳥/資生堂 
9. 1964 MG5/ガンスコープ/資生堂 
10. 1965 資生堂口紅/チェリーピンク/資生堂 
11. 1965 スペシァル口紅・プレスドパウダー/タンゴ/資生堂 
12. 1965 男子用化粧品/パレード(男子用化粧品セール)/資生堂

13. 1965 スペシァル ナリシングパック/資生堂 
14. 1966 MG5/MG5/資生堂 
15. 1966 サンオイル・サンスクリーン/美波里二役/資生堂 
16. 1966 男子用化粧品/さわやかな奴/資生堂

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タグ:杉山登志

JUN [Commercial Art]

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JUNが協賛した劇団天井桟敷の1967年の公演、「天井桟敷定期会員募集」のポスターで、デザインは横尾忠則です。JUNは他にも1966年にアートシアター新宿文化で行われた、ジャズ・コンサート「八木正生リサイタル」に協賛して、単なるファッションメーカーから脱した意味でも高く評価されています。

1960年代後半に若者を中心にブームになった「アングラ(アンダー・グラウンド)劇」は、歌人で劇作家でもあった寺山修司が1966年に主宰した劇団、「演劇実験室・天井桟敷」の公演によるものが中心で、1967年から青山の草月会館ホールや新宿の末広亭などで公演を行っていました。1969年には渋谷に「天井桟敷館」が完成して、その後1976年に麻布十番に移りましたが現在はありません。寺山修司が映画を作る際の事務所だった、三田の「人力飛行機舎」の建物は今も残っているようです。

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1969年5月1日にリリースされたザ・ハプニングス・フォーのセカンド・アルバム、「クラシカルエレガンス/バロック&ロール」のジャケットです。デザインはJUNの「Classical Eleganse Image '70」の、Sales promotion用ポスターがタイアップされて使われています。内容は以前UPしたヨーロッパのグループ、ティンカーペルス・フェアリーダストやアフロディテス・チャイルド、ポップトップスなどの1968年にヒットしたバロック調ポップスに影響を受けた楽曲です。

1970年~'71年に東京12チャンネル(現、テレビ東京)で土曜深夜に放送されていた、JUNが提供した洋楽番組「Now Explosion」のJUN&ROPEのCMで使われたフォーレの「ペレアスとメリザンド」の第三楽章です。


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