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5月の薔薇 [1960年代の邦楽]

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今年も薔薇が満開の季節になりましたので、バルコニーから撮影しました。

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アイビーブーム全盛の1966年にリリースされた「アイビー東京」は、当時小学6年だった私も聞いていました。

「♪ピンクのルージュ ハイカット 君のアイビー 素敵だね♪」ハイカットとは当時VANが発売したバスケットシューズ、シューターの事でしょうか。


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St. Valentine's day 2014 [1960年代の邦楽]

前回の記事「節分の2月は鬼の霍乱?!」に書いたように、腰から尻の間に出来たおできの術後療養の為10日間禁酒だった今年のバレンタインデーは、現在毒心(独身)貴族の私にとっては数多き?ガール・フレンドとの食事も出来ず寂しい一日となったのですけれど、ある方からはイヤミを込めてか?[がく~(落胆した顔)]スコッチ&バーボン&ブランディの洋酒11本セットが届いたのでした[わーい(嬉しい顔)]。2週間くらいで全て飲んでしまうと思いますので、とっても感謝感激でございますう~![キスマーク]

SCOTCH.jpg

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私が大好きな画伯のひとりである"藤城誠治"氏の作品に、1960年代に高級酒だったジョニ黒が描かれています。

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私が中学3年だった1969年の4月にリリースされた楽曲、ピンキー&キラーズの「七色のしあわせ」は、45年の歳月を経ようとする今聴くとマイナーコードのギターの音色が新鮮です。

七色のしあわせ.jpg


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野バラ咲く路 [1960年代の邦楽]

昨年の12月5日に中村 勘三郎さん享年57歳、今年2月3日には市川 團十郎さんが享年66歳で亡くなり、梨園の名門である大物役者が他界されました。鬼平犯科帳でお馴染みの中村 吉右衛門さんを始め、歌舞伎ファンでもある私としてもまだまだご活躍して頂きたかったので残念です。

1965年12月号のメンクラに4代目尾上 菊之助さんが、「アイビーな女形」として紹介されていました。

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当時23歳という若き日の菊之助さんが駆る、左ハンドルのMGが懐かしいです。

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端整なマスクと端正な身のこなしに、爽やかなアイビールックが似合います。


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尾上 菊之助さんと同い年である、若き日の松本 幸四郎さんが市川 染五郎を名のっていた頃に、作詞/作曲をして歌い1967年に大ヒットした曲「野バラ咲く路」です。シンガー・ソング・ライターの草分け的存在ですが、グループ・サウンズが全盛期でしたのでサウンドがGS歌謡です。


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霜月 [1960年代の邦楽]

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自宅リビングからの、晩秋の夕暮れの空がとても美しかった。晴天の日には、左横辺りに富士山が綺麗です。

9月23日以来、二か月ぶりの更新です。昨日22日はVANのセールで、東日本橋へ出かけてきました。ゲットした商品は、後日UPする予定。公私共に多忙気味でしたが、3連休の今日は福岡から出張中の友人と会食し、中日である明日は再度VANセールに顔を出してから、横浜で友人と待ち合わせて久しぶりに元町のFUKUZOへ行く予定。今夜はハイボール片手に、「アメリカングラフティ」を観ています。

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この映画の出演者が着ているBDの、マドラスチェックの色合いが好きです。1960年代のVANには、この様な好いチェックがたくさんあったと記憶する!

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GSブーム全盛期の1967年12月27日にリリースされた、西田佐知子のGS歌謡「涙のかわくまで」。


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たそがれの赤い月 [1960年代の邦楽]

久しぶりの更新です。

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1967年7月にリリースされたジュディー・オングのシングル、「たそがれの赤い月」


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浜口庫之助 [1960年代の邦楽]

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下書きにしていた記事で、久しぶりの更新です。公私共に多忙と心労を極めておりますので、niceを頂いている皆さんの所への訪問が行き渡りませんがご了承くださいませ。

数ヶ月前にあるきっかけから浜口庫之助さんの「マイ・ソング、マイ・ヴォイス」を聴いてみたら、今風の表現で云うと気持ちが"ホッコリ"したのでした。浜口先生が作詞/作曲した作品と云えば守屋浩さんの「僕は泣いちっち」、坂本九さんの「涙くんさよなら」、マイク真木さんの「バラが咲いた」、水原弘さん「愛の渚」、スパイダースの「夕陽が泣いている」、「風が泣いている」、石原裕次郎さん「恋の町札幌」などの珠玉の大ヒットがありますが、ご本人が渋い声でセルフ・カヴァーされている歌も好いものです。


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1964年を懐かしむ [1960年代の邦楽]

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2月12日にUPした「SOUND POESY SACHIO」に松田さんから頂いたコメントに、1964年にリリースされた"いしだあゆみ"さんの「サチオ君」が書かれていて、昨年3月17日の「歌謡曲だよ、人生は」に頂いたmurayasu428さんのコメントには、1964年に東京12チャンネルで放送された"荒木一郎"さんが出演したテレビ映画「ハローCQ」があって、お二方から当時を懐かしく想い出させて頂きました。

"いしだあゆみ"さんが歌っていた「ハローCQ」のテーマソング、「だれだって一人じゃない」はこちらで聴けます。http://dondon007.web.fc2.com/cqhome.htm

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ビクターから1964年4月に16歳でレコード・デビューをした"いしだあゆみ"さんは、1968年2月のラスト・シングル「小雨の思い出」まで、シングル盤23枚と4曲入りコンパクト盤2枚、LP1枚、2種類のミュージック・ブックをリリースしていました。1968年6月の「太陽は泣いている」と、同年のクリスマスにリリースされた「ブルーライト・ヨコハマ」は日本コロムビアへ移籍後の大ヒット曲ですね。


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So Long Sachio [1960年代の邦楽]

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1960年代から'70年代初めに青春時代を過ごした人達の間で人気だった店に、六本木「ザ・ハンバーガーイン」やイタリアン・レストラン「キャンティ」がありますが、1997年に出版された「キャンティ物語」は1960年に"子供の心をもつ大人たちと、大人の心をもつ子供たちのために"と、飯倉片町にオープンした「キャンティ」オーナーの、華族出身の川添浩史さん梶子さん夫妻の生涯と、キャンティを愛する客達の青春を描いた長編ノンフィクションです。そして「キャンティ物語」のプロローグは慶應高校時代からキャンティの常連だった福澤幸雄さんの葬儀から始まっていて、キャンティに集まった多くの人々からも愛された華やかな存在だったことが伺えます。

キャンティのオープン当初の常連客には三島由紀夫、黛敏郎、黒澤明、岡本太郎、小沢征爾、篠山紀信や、当時六本木族と言われた加賀まりこ、安井かずみ、かまやつひろし、井上順。後には坂本龍一、村上龍、中学生だった松任谷由実など…がいて、有名、無名を問わず才能を持つ文化人、芸能人たちが川添夫妻の人間性や文化的教養に魅了されて集い、自由に席を立って交流し同じ時間と空間を共有しました。(データベースより一部引用)

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福澤幸雄さんの親友だったかまやつひろしさんが彼に捧げた曲、「ソーロング・サチオ」は1969年5月25日にリリースされたアルバム"スパイダース'69"に収録されていました。そしてスパイダースの活躍にも貢献した福澤さんは、スパイダース8人目のメンバーと云われたそうでした。

 

キャンティ物語 (幻冬舎文庫)

キャンティ物語 (幻冬舎文庫)

  • 作者: 野地 秩嘉
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 1997/08
  • メディア: 文庫

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榛名湖の少女 [1960年代の邦楽]

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早いもので明日から10月、今年もあと三ヶ月で終わりかと思うと焦燥感を覚えます。早くホームグラウンドの東京へ戻り先々の運営を・・・と考えると、今の経済状況では先行きに不安が募るばかりです。1966年の布施明の大ヒット曲に北海道の湖を歌った「霧の摩周湖」がありますが、群馬にある榛名湖の秋を歌った「榛名湖の少女(1967年9月20日リリース)」と、中学2年の頃から好きでカラオケでもよく歌う「愛の園(1968年4月20日リリース)」です。

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1965年前後のアイビー・ブームの頃、ヴァンヂャケット社は渡辺プロダクションに衣装提供をしていましたので、デビュー当時の布施明もVANの社員旅行に同行していたそうでした。そう云えばナベプロが有楽町にあった頃、ワイルド・ワンズやなべおさみと、ナベプロではないけれど西郷輝彦を銀座のテイメンで見かけたことがありました。銀座コリドー街にある加瀬邦彦が経営するライブ・ハウス「ケネディ・ハウス」は、1960年代後半にナベプロが経営するジャズ喫茶「メイツ」があった場所で、現在もグループ企業に株式会社メイツがあります。「ケネディ・ハウス」がオープンした1980年代初めは、六本木、京都、福岡にもありましたが現在は銀座店だけとなりました。


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雲にのりたい [1960年代の邦楽]

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作曲家の故三木たかしさんの妹である黛ジュンさんは、1964年に品川区の中学を卒業後、本名の渡邊順子で各地の米軍キャンプをジャズ歌手として巡り、同年にレコードデビューをしてビクターから3枚のシングルをリリースしますがヒットせず、1967年に石原プロモーションに移籍すると共に、黛ジュンと改名し再デビューして、東芝音楽工業からリリースした「恋のハレルヤ」が大ヒット。その後も次々とヒットを飛ばし、1968年5月1日にリリースした「天使の誘惑」はレコード大賞を受賞し、3年間の下積み時代から一気に和製ポップス歌手としての地位を確立しました。

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1969年6月1日にリリースされた「雲にのりたい」は、ジャケットに雑誌「平凡」募集当選歌とあるように、大石良蔵さんという方の作詞が採用されて、なかにし礼:補作詞/鈴木邦彦:作曲/編曲とライナーにクレジットされています。

 

 

ゴールデン・ベスト: 黛ジュン

ゴールデン・ベスト: 黛ジュン

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2002/06/19
  • メディア: CD

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恋のエンジェル・フィッシュ [1960年代の邦楽]

昨年の11月25日にUPした「涙の太陽」でデビューした、エミー・ジャクソンの曲が小学生の頃から好きでしたが、彼女こそがひとりGSの走りと云えるでしょうね。「恋のエンジェル・フィッシュ」は、1966年8月にリリースされた楽曲で、バッキングはブルー・コメッツです。8月6日(金)に五反田のライブ&カフェバー「ロッキー」で、エミー・ジャクソンのライブがあります。http://livecafe-rocky.com/

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ニュー・リリースのCD"TIMELESS"@2000円。CDショップでの注文販売です。

1. 涙の太陽2008
2. I Need To Be In Love
3. Top Of The World
4. Have I Told you Lately Tha I Love You
5. とどかぬ想い
6. CRYヨコハマ
7. Tennessee Waltz
8. 涙の太陽2008(Instrumental)
9. CRYヨコハマ(Instrumental)

 

涙の太陽

涙の太陽

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: コロムビアミュージックエンタテインメント
  • 発売日: 2009/11/24
  • メディア: CD

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青い森の二人/Pinky & Killers [1960年代の邦楽]

1960年代の楽曲を中心に廃盤レコードを収集する私は、休日に都内の廃盤レコード店を周るのが好きですが、先日、レコードを扱っている北海道のリサイクル・ショップで、懐かしいシングルを見つけました。リアル・タイムの頃はピンキーとキラーズに興味がなかったのですが、今聴くとギターの音や演奏テクニックが、なかなかのものだったんだなぁと思います。このグループはGSブームの頃にヒットを飛ばしましたが、くくりとしてはGSではなかったように思います。

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「オレと彼女」は1968年8月12日から10月21日まで、TBSのナショナル劇場で放送された同名タイトルのテレビドラマの主題歌で、当時の人気俳優の黒沢年男、栗原小巻、柏木由紀子、小山ルミなどが出演していました。

1970年にリリースされたらしい「青い森の二人」は、ピンキラの曲ということを今まで知らずでしたが、この曲は高校3年の春に義兄が経営する会社の社員で、当時26歳だった筒井さんというオーセンティックなIVYがお似合いの人が連れて行ってくれた、ナイト・クラブのバンドが演奏していて、何となく覚えていたこの曲をYou Tubeで聴いてとても懐かしく想い出しました。このナイトクラブは社交ダンスのナンバーを演奏するグループと、当時ヒットしていたサンタナのブラック・マジック・ウーマンなどの、ダンス・ステップのナンバーを演奏するトゥーバンドで、ディスコとは違い客層もかなり落ち着いた年齢層の店でした。もう一曲は、1969年4月にリリースされた「七色のしあわせ」です。

 

ピンキーとキラーズ ベスト・ヒット

ピンキーとキラーズ ベスト・ヒット

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: キングレコード
  • 発売日: 2009/12/05
  • メディア: CD

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初恋のひと [1960年代の邦楽]

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1969年1月21日にリリースされた「初恋のひと」、小川知子さんにとっては羽田健太郎さんですね。この曲が出た頃に小川知子さんがお付き合いをしていた、カー・レーサーの福澤幸雄氏は1969年2月12日に、静岡県のヤマハ・テストコースでトヨタ7のテスト走行中に起きた事故で、25歳という若さで亡くなりました。その直後の「夜のヒット・スタジオ」で小川さんが、「初恋のひと」を歌いながら泣き崩れたことがありましたが、その懐かしい映像がありましたのでUPします。

福澤諭吉の曾孫である福澤幸雄氏は、レーサーとして活躍するかたわら、当時IVYのVAN、JUNと共にコンチネンタルやモッズ・ルックで人気があった、アパレル・メーカーのエドワーズの取締役企画部長を務めながら、ファッション・モデルとしても有名だった人で、1967年~1968年頃には化粧品、アパレル、自動車メーカーや、トランジスター・ラジオなどのCMのイメージ・キャラクターもやっていました。お母さんがギリシャ人でお父さんが日本人のハーフで、とてもハンサムなマスクのナイス・ガイでした。


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なげきの真珠 [1960年代の邦楽]

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1960年代にGSをバッキングに歌っていた女性ポップス歌手を、"ひとりGS"と云われていたようですが、昨年の12月16日に「北国の二人」でUPした、中村晃子の1968年3月1日にリリースされた"ひとりGS"歌謡である「砂の十字架」に続き、1968年8月にりりースされた「なげきの真珠」です。ナチュラルなほうが美人なのに、ジャケット写真のアイ・ラインの入れ方がすごいですね。(笑い)

ふたばひろみ&Deja Vuの、「砂の十字架」のライヴです。このグループはライヴ・ハウスを中心に活動しているようですが、'60年代'70年代の和製ポップスをレパートリーにしているのが気に入っています。私がバンドをやっていた頃も、オリジナル盤ではストリングスが入る部分をキーボードで演奏していましたが、当時はキーボードという名称はなく、オルガンやエレクトーンと云っていて、ACE TONEのコンボ・タイプが主流でした。エレクトーン(Electone)とは、ヤマハの電子オルガンの登録商標名称で、他社だと河合楽器のドリマトーン、ローランドはミュージック・アトリエという販売名称があります。

 

中村晃子 ベスト・ヒット

中村晃子 ベスト・ヒット

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: キングレコード
  • 発売日: 2009/12/05
  • メディア: CD

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悲しき街角 [1960年代の邦楽]

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画像は札幌駅JRタワーです。2010年のゴールデン・ウィークも終わり、札幌駅や新千歳空港、3月末にオープンした国際線ターミナル・ビルも混雑していたようです。

ポール・アンカや二ール・セダカなどのアメリカン・ポップスが主流だった1960年代始め、中尾ミエの「可愛いベイビー」、弘田三枝子の「ヴァケーション」、坂本九「ステキなタイミング」、田代みどり「パイナップル・プリンセス」などの、訳詞や作詞を担当した漣健児さんの楽曲が大ヒットして、カヴァーポップスの流行を手掛けた元祖的な存在となりました。

他には森山良子の「恋はみずいろ」、イタリアの歌手ミーナの「砂に消えた涙」、「離別」の日本語ヴァージョンや、G・Sではカーナビーツの「好きさ好きさ好きさ」、ジャガーズの「ダンシング・ロンリー・ナイト」の歌詞も漣健児さんによるもので、日本のポップス歌謡に珠玉の作品を残されています。'60年代の洋楽ファンなら誰もが読んでいたと思われる、「ミュージック・ライフ」誌の初代編集長は漣健児さんでした。「ミュージック・ライフ」を出版していた新興楽譜出版社(現シンコーミュージック・エンタテインメント)は漣さんの父親が経営していた会社で、漣さんは2005年6月6日に74歳でお亡くなりになるまで同社の代表取締役会長を務めていました。

飯田久彦.jpg

悲しき街角クリックしてお聴きください。

1961年に歌手デビューをした飯田久彦さんの「悲しき街角」、「ルイジアナ・ママ」も漣健児さんによる作品で大ヒットしましたが、飯田久彦さんはテイチク・エンタテインメント代表取締役会長を経て、現在はエイベックス・エンタテインメント、エイベックス・グループ・ホールディングス取締役に就任されています。

 

映像は10年ほど前のようですが、今年69歳になられる飯田久彦さんは外見同様に、マインドも若々しくてエヴァー・グリーンなイメージの万年青年ですね。

ルイジアナ・ママ

ルイジアナ・ママ

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: コロムビアミュージックエンタテインメント
  • 発売日: 1993/09/21
  • メディア: CD

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Oldies [1960年代の邦楽]

2006年の6月15日から別サイトで書いているブログ、"ivy Scene 1968"を立ち上げた頃にエミー・ジャクソンの「涙の太陽」の記事から、大村梨花さんというミュージシャンとネットを通して知り合いました。大村さんがボーカルをされているバンド、「エディ田中&バックビート」のリーダーは、グループ・サウンズ時代に「リンガーズ」というグループでDrums & Vocalをされていた方です。1969年に発売されたリンガーズのデビュー曲「恋はふりむかない」の作曲は、今年5月に亡くなられた「三木たかし」さんでした。

エディ田中&バックビートは、和製Pops、G・Sなどオールディーズをメインとしたレパートリーに様々なジャンルの音楽を加え、大村梨花さんのヴォーカルを活かして最近話題の癒し系クラシック・ミュージックにもチャレンジしています。

有楽町の東宝ツインタワー7Fにある東宝ダンス・ホールで、ソーシャル・ダンスのバンドとして3ヶ月に一度「オールディーズ・ナイト」を開催し、ブラスセクションとジョイントした、Disco、R&Bなども演奏しています。その他、都内や神奈川の関東圏のホテルやライブハウスなどでも活躍していますので、若い頃にディスコへ通っていた方、オールディーズ、ダンスが好きな人は青春時代にタイム・スリップできますよ。

2006.7.20.jpgエミー・ジャクソンさんと、大村梨花さんです。

横浜のライブ・ハウス「オーシャン」での、エディ田中&バックビートのライヴから3曲UPします。東京芸大で声楽を専攻された大村梨花さんの発声は、POPSを歌われても素晴らしいです。

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涙の太陽 [1960年代の邦楽]

昨年の3月5日から11月8日迄東京へ帰っていましたが、通算すると北海道へ赴任して11月18日で3年が経ちました。秋風が吹く頃には帰京する予定でしたので、こちらでの仕事の延長に戸惑いもありますが、福岡の友人が言うように景気低迷のご時世に、仕事の依頼がある事に感謝するべきなのでしょうね。

3年前にこちらに来た頃、エミー・ジャクソンの5曲入りCDを買ってよく聴いていました。この曲目から、北海道での新たな想い出を刻む事が出来ました。1965年4月にリリースされ70万枚を売り上げる大ヒットとなった、エミー・ジャクソンの「涙の太陽」と、1966年2月にリリースされた「涙のゴーゴー」は、'60年代の和製POPSの中でも群を抜いて好きな英語の曲です。

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両曲とも中島安敏作曲、作詞は音楽評論家の湯川れい子です。クレジットに湯川れいこの姓名を直訳した、「Reiko.Hot.Rivers」から「R.H.Rivers」と作詞名を書いたのと、当時の日本のレコード業界は作詞・作曲家の専属制をとっており、フリーの作家はなかなかリリースすることができなかったので、米国コロムビアと提携していたコロムビア・レコーズはCBSレーベルから洋楽として発売し、当時アメリカン・スクールの学生だった英国籍のエミー・ジャクソンが歌った為、この曲を洋楽だと思って聴いていた人が多くいました。ちなみに当時の邦楽シングルは300円~330円、当時は1$360円の時代でしたので洋楽は370円でした。

「涙の太陽」と2枚目のシングルである「夢みるマイ・ボーイ」だけで使われている、バッキングはスマッシュメンとクレジットされていましたが、実態はブルー・コメッツでした。コーラスは後にG・Sとしてデビューしたフィリピン人のバンド、スーナーズが担当。スーナーズは1968年に赤坂にオープンしたディスコ・クラブ、「MUGEN」の専属バンドもやっていました。


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たそがれの赤い月 [1960年代の邦楽]

日本航空の再建問題が取り沙汰されておりますが、巨額の資金を投資しない事には再建が厳しい状況下、経済環境が最悪の現状に大幅な数のリストラをするそうで、これにより又大きな悪影響への連鎖になるのではないかという社会不安もあります。失業者が増える一方、就職が内定していない大学生の数もかなり多いようですので、ニート、フリーターが増える事は必至と思われます。

日航は1982年の羽田沖逆噴射事故、1985年の御巣鷹山墜落事故辺りから不運続きで、ある時期から死の鳥マークと揶揄するマスコミがあり、一時期は企業や個人利用者が、国内線でもJALを敬遠する傾向がありました。御巣鷹山墜落事故では、たまたま乗り合わせた人達が日本を代表する企業の方々ばかりで、私の身近でも広告代理店の電通大阪、中央宣興と、SB食品などの大企業のシンク・タンクが亡くなりました。

旅客機による旅行が一般化した1960年代に、1つの航空会社による複数の寄港地に寄港する世界一周便が、パンアメリカン航空、英国海外航空、トランスワールド航空、カンタス航空などの、ナショナル・フラッグ・キャリアと呼ばれる大手航空会社により運航され、日本航空は1967年3月6日にアジアの航空会社として初の、そして日本の航空会社として唯一の世界一周路線を開設しました。以前も書きましたが、このキャンペーンではサベージ「夜空に夢を」、スパイダース「太陽の翼」を世界一周航路開設記念盤としてリリースしています。

航路は東京=香港=バンコク=ニューデリー=テヘラン=カイロ=ローマ=フランクフルトまたはパリ=ロンドン=ニューヨーク=サンフランシスコ=ホノルル=東京で、日本航空による世界一周航路は1972年まで運航されていました。

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音源はこちら

1960年代に人気を博していたジュディ・オングの、1967年7月にリリースされスマッシュヒットとなった『たそがれの赤い月』です。当時の録音技術の悪さと、歌があまり上手ではなかったのか、エコーが効きすぎているけれど、私が大好きな曲でした。


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勇気あるもの [1960年代の邦楽]

早いもので今日から9月ですが、北海道の夜は風も冷たくて既に秋を感じています。新型インフルエンザによる死者が北海道でも出ているというニュースを見ましたが、以前から簡単な予防法として消毒液での手洗いと、うがいをこまめに励行しています。何を行うにしても先ずは、健康でなければ何事にも支障が出ますから・・・。

1966年の10月にリリースされた楽曲です。当時小学6年生だった私の心にも強く印象に残った曲でしたが、この『勇気あるもの』を聴いて、とても励まされたというエピソードを持っている方が多くいらっしゃいます。

現在の格差社会とは又違う、貧富の差が多かった1960年代初頭の集団就職などで、故郷を離れて慣れない都会で辛い思いをされた人達もそうでした。1966年の紅白歌合戦に、当時早稲田大学の3年だった吉永小百合さんがこの曲で出場し、雲上人のようなイメージがあった吉永さんからも、元気と勇気を頂いた人達が多かったそうです。

勇気あるもの.jpg

勇気あるもの

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夕陽はるかに

トニーズは元々、松竹映画のニューフェイス4人によって結成されたグループで、「愛のペンダント」という曲を出していたそうで、私が持っていたレコードは『夕陽はるかに』ですが、今日UPする音源とは違うサウンドでした。もっとテンポが速く、エレクトーンが入ったビートが強いものでした。どちらが先の発売かは分かりませんが、私的にはアップ・テンポの方が好きでした。


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恋はハートで [1960年代の邦楽]

今年の4月から週に1、2回の頻度で、メール交換をしている人がいます。私のブログを読んでくださっている1歳上の男性で、私が忘れている事をたくさん想い出させて頂いています。IVY、G・S、加山雄三のキーワードが接点でしたが、多いときは月に10数通のメールになると、その接点がどんどん広がりつつあります。中学受験をした事、小学生の頃にスロットレーシングが好きで、マイレーシングを持って東京タワーのサーキットへ行っていた事、等‥、話題に事欠く事はありません。

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今年5月11日に亡くなられた、三木たかしさんの作曲家としてのデビュー作である、泉アキの「恋はハートで」の情報をくださったのも彼でした。私はひとりG・Sと云われた泉アキの「夕焼けのあいつ」という曲は、中1の頃にテレビで観て知っていましたが、1967年10月発売のデビュー曲、「恋はハートで」は初めて知りました。バック演奏はザ・レンジャーズというG・Sで、A面B面共にとてもノリの良い曲です。


タグ:泉アキ
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